アンコールワット旅行記12・戦争博物館とキリングフィールド。忘れてはならない歴史…

アンコールワット旅行記12・戦争博物館とキリングフィールド。忘れてはならない歴史…

2019.06.10

【アンコールワット旅の思い出12】
アンコールワット最終日。
ここまで長々と書かせていただいたカンボジア旅行記ですが、カンボジアと言えば・・・この歴史も避けて通るわけにはいきません。
最終日は、戦争博物館そしてキリングフィールドへ!
そこにあったのは、大量の人の頭蓋骨そして武器と写真だけなのですが、それを前にしてガイドさんが淡々と話す話は、残酷を通り越し現実とは思えないものでした。
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両手を広げてみました。大きさがわかりますよね
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こちらはキリングフィールド。当時の処刑場でもあり、たくさんの頭蓋骨が展示さています。中には槍で刺されたような跡のあるものも・・・
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ほんの40年前、カンボジアで起こっていた最大の悲劇そして虐殺の歴史。人口の約1/3が殺された恐怖政治については、情報が表に出なかったので当時のニュースで知ることができませんでした。
ポルポト政権下の虐殺の対象は、「彼らが目指した貧しい農民生活者として必要のない」人間。
例えば
「メガネをかけている」
「本を読んでいた」
「医師や歯医者である」
「人にものを教えたことがある」
「外国に行ったことがある」
「外国語を話した」
少しでも頭の良さそうな人はみんな殺してしまえ..そんなたわいもないことで、人が人を殺していったのです。
そして、生き残った人に与えられたのは、一切財産を持たない死に至るほどの過酷な労働。
そして何より恐ろしかったのは、国民を男女別に無作為に並べてその順に結婚させて子供を作らせるという強制結婚。
一切意思を持つことはできず、時には女性は縛られ、兵士監視のもと子作りをさせられた。
そして、生まれた子供は兵士として育てるため取り上げられ、すぐに労働また子作り…
この博物館に展示されてる戦車やバズーカー砲を扱っていたのは、実はそんな子供たちだそうです。
兵士となった子供達は、戦車や武器に鎖で繋がれ逃げられない状態で戦わねばならず、勝てば離れたところで監視している大人が鎖を外しにしてくれるのですが、負ければ…誰も助けられないまま死ぬしかない。
そこまで聞いた時、ガイドさんの口からこんな発言が
「実は、私の両親もそうして強制結婚しました。」
え、彼はまだそんなに歳ではありません。
まさか..
絶句したのち、あなたは兵士に取られなかったのかと聞いたら、
「僕は幸運にも少し遅く生まれたので大丈夫です。でも上の2人の兄はその時代でした..が、父がよく働いたので許され生きてます。でも、この話は家ではあまりしません」
地雷や戦争だけでなくこんな苦しみが、昔の歴史ではなくほんの少し前にこの地であったなんて。
たった4年のポルポト政権でしたが、解放された後のカンボジアの人口は、14歳以下が85%。ほとんどの大人がこの時代に殺されてしまったそうです。
だから、街を歩いていても、お年寄りにほとんど会うことがなかったんだ…
平均年齢は26歳の若い国の理由、そして数年前まで外国人医師にカンボジア医師免許を許可するほど、医師歯科医師が足りない理由がわかりました。
古代遺跡の感動も素晴らしい感動を受けましたか、カンボジアの近代歴史の残酷さと、そこから立ち上がっているカンボジア人の強さや寛容さにも感動を覚えました。
この話題は、なんとなく暗くて重くなるなぁ…と思いつつ、でも、自分の中でも今回の体験を整理したかったので、書き留めてみました。
写真には薄くモザイクをかけましたが、見て不快に思われた方がいらしたら申し訳ございません。

 

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